おはようございます。
パス高坂セッションルーム非常勤スタッフ、理学療法士の矢島です。
最近一日おきくらいに朝、散歩をするようになりました。
月に一回以上神社にお参りすると良いよ、と知り合いの占い師さんに言われたことを思い出し、毎日じゃないけど、近くの神社まで。
朝の空気は気持ちいい。
最近は涼しくなってきたのでなおさら。
神社にお参りするときのお賽銭入れた、あのジャラジャラした音が好き。
帰り道は近くの川沿いを少しジョギングも入れたりしながら帰ってくるのですが、疲れてすぐに歩いちゃう。
それでもムリして頑張ると続かないので、走りたくなったらジョギングして歩きたくなったら歩く。
そんな感じで、景色を楽しんだり美味しい空気を吸ったりして、まったりやってます。
さて、昔に比べて身体を動かすことが少なくなりました。
車を持てるようになり、歩かなくなった。
身体を使わない仕事が増えた。
子供も家でYouTubeを観る時間が増え、外で遊ぶ時間は減った。
ぼくは車通勤だし、仕事(訪問看護ステーション)中もほとんど車で移動するので、あまり動きません。
病院勤務の時は階段登ったりして、それなりに動いていたと思うんだけど。。。
身体を使う場面はどんどん少なくなると同時に、身体の使い方はどんどん下手になってきています。
だから身体を動かしましょう!と言われ続けてきたけど、どうだろう?
運動をする人は一向に増えない。
暇つぶしの選択肢が増えている今、頭脳労働が増えてきている今、身体を使う時間は確実に少なくなっている。
「だから運動しましょう!」じゃ根本的な解決にはならない。
だって、動く必要がなくなってきたんだから。
運動して身体を鍛えて、今までのような身体を手に入れるということは、一つの正解なのかもしれません。
では、人間が退化してるのか?といえば、決してそうではないのかもしれない。
人間は今の環境に適した身体になるために、どんどん進化をしているとしたら?
身体の使い方が下手くそになったおかげで得られていることがあるのかもしれない。
昔の人は今ほど好き嫌いなく、何でも食べ物を食べていました。
僕の息子を含めて今の子達は好き嫌いがとても多い。
そして少食です。
食べることに執着がない。
これからはもう身体を鍛える必要がないということを、DNAレベルで感じてそう進化してるんじゃないでしょうか?
だとすると、昔の人の身体の使い方を手に入れようと努力することは本当にいいことなんだろうか?
これからの時代を生き抜くための身体、それは一体どういう身体なんだろう?
そう考えた時に、今から身体を鍛え直すというのは、果たして正しい方向なんだろうか?
身体に不調を感じる、どこか痛い場所がある、というのは良くない。
でも身体に不調を感じず、痛くもなく、パフォーマンスが良い状態であれば運動なんてしなくてもいいんじゃないか。
あくまで幸せな人生を歩むため、周りの人たちを笑顔にするために自分のコンディションを整える。
運動をすることは一つの手段であって、目的にしてはいけないと思うのです。
それにイヤイヤ運動したって仕方ない。
せっかくの人生、イヤなことをやる時間に当てたくない。
でも、ぼくにとって朝の散歩はすごく気持ちがいい。
30分くらい歩くと身体もあったかくなって、しっとり汗ばんで、その日一日の調子も良くなる。
気持ちいいと思えるこの習慣、続けていきたいです。