おはようございます。
非常勤スタッフ矢島です。
本日は丁寧をテーマにお話ししたいと思います。
お会いしたことのある方はひょっとしたらお気づきかも知れませんが、ぼくは「大雑把」で「適当」で「いい加減」という具合に「丁寧」とはとても言えないような類の人間です。
なのであまり偉そうには言えないのですが、丁寧とは真逆にいる僕だからこそ丁寧の大切さを感じることがあります。
今までは丁寧から距離を置いていました。
丁寧だと男らしくない。
あまりかしこまっていると、鼻につくのではないか。
何となく自分らしくない。
こんなくだらないことを思っていました。
丁寧なコミュニケーション
たけど、丁寧を心がけるといろいろなことが上手くいくという感覚が、最近になって何となくわかってきました。
なので、丁寧に生きることをこれから心がけていきたいです、という意味を込めて書きたいと思います。
くれぐれも今僕は丁寧に生きてはいないので、これから丁寧に生きて行きたいです!という決意表明のようなものでしょうか(笑)
例えばコミュニケーション。
僕は割とすぐに言葉を崩してお話ししてしまうんです。
その方が楽だから。
でもかしこまった言葉を使えば丁寧か、と言ったらそれは違うと思います。
言葉だけ丁寧でもダメ。
では丁寧なコミュニケーションとはどういうことか。
僕が思う丁寧なコミュニケーションは、相手のことを感じてお話しする、ということ。
「丁寧」は「感じる」こと。
相手の声のトーンを感じ、相手の表情を感じ、相手を受け止めることです。
こちらの言いたいことを伝えるだけではダメ。
当たり前のことを言っていますが、ついつい自分の言いたいことを頭の中で考えながらコミュニケーションをとっていると、相手のことを感じることが難しくなります。
子供と接する時なんか、片手間で話をするとついつい「適当」に話をしてしまいがちです。
妻と話をするときなんか、さらにヒドイです(笑)
気がついた時だけでも丁寧なコミュニケーションをとるように心がけています。(心がけたいです)
丁寧な施術
僕は一応理学療法士として14年間、さまざまな患者さんのお身体を触ってきました。
その中でやっぱり丁寧な施術が良いなと思っています。
丁寧な施術とは、患者さんの身体の声を聞くこと。
今思うと以前僕は、自分よがりな施術をしていました。
硬い筋肉をぼぐす、良い姿勢と呼ばれる左右対称で胸を張っている姿勢を強要する、筋力の弱い筋肉をトレーニングする。
これは患者さんの身体の声を聞けていません。
丁寧に患者さんの身体の感覚を拾えていないんです。
感覚と言っても、手足の重さ・皮膚の状態・筋膜の張り・骨・動いている時と止まっている時の状態・呼吸・覚醒度合い・接地している部位などなど数えるとキリがないほど。
これらの感覚を拾い集めながら施術をしていく。
これが僕の思う丁寧な施術です。
ついつい毎日患者さんを触っていると、大体悪いところは決まっていますので、そこの悪い部分の施術だけで済ませてしまうこともありますし、それである程度は良くなってしまいます。
でも、それでは何も面白くもありません。
丁寧な施術をすることで、こちらの気づきもあるし、より良い身体になっていく。
何より楽しいのです。
同じ患者さんでも日によって状態が違うし、施術中も絶えず変化していきます。
それを楽しむために、丁寧な施術を心がけています。(ほっておくとついつい同じような部分しか感じない施術になってしまうことがあるので)
丁寧に生きる
では、丁寧に生きるとは。
例えば字を書くとき。
意識をしないとついつい崩して書いてしまう。
僕の場合崩して適当に字を書いていると、手が痛くなるんです。
ヒドイ時には手首や手の関節に炎症が出ることもあります。
そんな時僕は、丁寧に書く、ということをします。
ここでいう丁寧は、綺麗な字を書くことではありません。
ペンの重さを感じながら、書いている紙のざらざら具合を感じ、その抵抗を味わう。
これだけで手の痛みが少し楽になるんです。
なので他の動作もできるだけ「丁寧」にやりたいと思っています。
食事、食器洗い、洗濯物たたみ、車の運転、歯磨き、草むしり・・・
これら全て丁寧にできることが出来れば、すごく素敵な人生になる。
そんな気がするんです。
書家の武田双雲さんは、これを「丁寧道」と表現していました。
丁寧道、僕に極められるかどうかは分かりませんが、今よりも少しだけ。
ほんの少しだけ丁寧に生きられるように、日々精進していきたいと思います。