僕と音楽

こんにちは、足整体 高坂の矢島です。

 

お客さんから採れたての新鮮野菜をいただいちゃいました。

当院にいらしていただくだけでも嬉しいのに。

いつもありがとうございます。

 

さて、今日は「僕と音楽」と言う、誰の役にも立たない完全にムダな話をしてみようと思います。

タイトルも小学校の作文みたいなタイトルだしw

 

学生の頃から趣味として音楽をやってきた僕の歴史を、ただただダラダラ話すだけのハズレ回です。

ってことなので、全く読む必要はありませんし、途中で飽きちゃっても知りません。

 

手短に書くつもりではいますが、絶対に長くなります。

断言します。

今日の記事からは何一つ学ぶことはありません。

すみません!

 

ってことで、もし読まれる方は張り切ってどうぞ!

 

<幼少期>

親父は「男が生まれたらピアノを習わせる」と決めていたそうですが、僕は「音楽は女がやるものだ」と思っていて、ピアノを習うのを拒否し続け習うことはありませんでした。

まさか大人になっても音楽をやるなんて思ってませんでしたから、ものすごく後悔しています。

おかげで小学校での音楽の成績(通知表)は5段階中2w

こんなのが音楽ずっとやるなんて・・・

 

ちなみに僕の父親は物心ついた頃からアマチュアでドラムを叩いていました。

 

話によると中学生の頃からドラムをやっていたようです。

ベンチャーズやらローリングストーンズなど、いわるゆるグループサウンズのバンドを組んでいて、我が家にはしょっちゅう親父のバンドメンバーが遊びにきていました。

 

<音楽を始めたきっかけ>

僕が音楽をやるようになったのは、中学生の時。

友達の中の誰が言い出したのか、今では全く覚えていませんが、友達とバンドを組もう!と言う話になりました。

 

男の子の中では結構あるあるなんじゃないかな?

ギターをやりたい人はいるけど、ベースとドラムは誰もやる人が見付からず、話が流れてしまうアレです。

 

たまたま僕の親父がドラムを持っている、と言うだけで叩けもしないドラムをやることになりました。

 

早速バンドでドラムをやることになったことを親父に報告しました。

息子がドラムをやることになったことがよっぽど嬉しかったんでしょうね?

 

当時購読していたPrayerと言うバンド雑誌に載っていた安いドラムセットをすぐに買ってくれました。

MAX TONEと言う聞いたこともないようなブランドのドラムセット。

シンバルとハイハットはブリキでできてるんじゃないか?と思えるほどヘコい音でしたが、当時の僕は違いが全く分からなかったのでそれで十分でした。

 

6畳の僕の部屋にドラムセットを設置。

ドラムと机と布団を敷くスペースしかありませんでしたw

 

ドラムセットにタオルを敷いて音が大きくならないようにしながら練習していました。

 

当時バンドでやっていた曲は主に洋楽ロック。

 

ボンジョビ

Mr.ビッグ

スキッドロウ

エクストリーム

ホワイトスネイク

などなど

 

親父から8ビートの叩き方を教わりましたが、さすがドラマーの息子。

割とすんなりそれなりに(本当にそれなりに)出来るようになりました。

当時の練習音源がカセットテープであるのですが、まぁヒドイもんです。

とても人に聞かせられるレベルじゃない。

こんなんでよくライブなんか出来たな、と感心しますw

 

川越市駅近くの「チコ」と言うライブハウスでライブの対バンによく出ていましたね。

タトゥーのシールを腕に貼り、髪の毛をスプレーで茶髪にしてライブに臨んだこともありました。

高校の時の写真。

バンドメンバー全員が女の子に振られたと言う、あの伝説のバンド『玉砕』

当時の僕はひょろひょろの身体だったので全然似合いませんでしたが、カッコつけようとしていたんですねw

 

<吹奏楽>

高校に進学した当初は中学にやっていたバスケ部に入っていました。

が、1年の僕たちはボールにすらほとんど触らせてもらえず、ずっと走り込みと筋トレの毎日。

もういい加減つまらなくなり、夏を待たずに退部。

 

で、入った部活が吹奏楽部です。

 

ドラムをやっていたので、パーカッションをやろう!と入部しましたが、僕たちの学年のパーカッションはもうすでに定員。

仕方なく、他の楽器をやることになったのですが、余っている楽器が

 

・ホルン

・サックス

・弦バス(コントラバス)

 

の3つのみ。

 

まぁ途中入部なので仕方ない。

この中で知っている楽器は、サックスしかありませんでした。

 

んじゃサックスやろうかなーと思いましたが、僕と同じ時期に入部したもう一人の友達が、

「俺サックスじゃないとやらない」

と言い出し、サックスの選択肢もなくなり・・・

 

むむむ。

 

残るはホルンと弦バス。

 

ホルンはグルグル巻いてある形のトランペットみたいな楽器。

吹かせてもらいましたが、全く音が出ない!

ホルンの先輩から

「マウスピースだけでブーブー鳴らして練習するんだよ」

と言われ、

「何だソレ、めちゃくちゃつまらなそう」

と思い、ホルンは却下。

 

と言うことで、消去法で残った弦バスという、めちゃくちゃデカい楽器の担当になりました。

 

弦バスやっている先輩がいなかったので、OBのちょいグレの先輩が1度だけ教えに来てくれました。

そしてその先輩から教則本のお下がりをもらいました。

ルートヴィヒ・シュトライヒャーのコントラバス入門(上)

 

内容は全然入門じゃなくてめちゃめちゃ難しい教則本なので全くおすすめしませんw

それ以降、僕の先生はこのシュトライヒャー先生です。

弓の持ち方や弦の押さえ方が写真付きで載っていましたのは助かりました。

 

そんな訳で高校時代は独学で弦バスを弾いていました。

ちなみに吹奏楽部ではエレキベースも弾かなくてはいけませんでした。

そこで買ったのがFenderジャパンのジャスベース

今でも大切にケースの中にしまってありますw

 

<サンバ>

高校の時に親父に誘われ、サンバのチームに入りました。

浅草の仲見世バルバロスと言う日本で一番大きいサンバチームで、浅草サンバカーニバルの常勝チーム。

 

そこではカイシャという、スネアドラムを改良したような楽器を担当。

ドラムをやっていたとは言え、サンバ独特のリズムと2時間ぶっ通しで演奏し続けるハードなパレード。

マジでヘロヘロになります。

ただ、サンバは音楽に乗っちゃえば勝手に身体が動いちゃうから不思議。

 

露出の多いセクシーな女性ダンサー。

ゲイの男性ダンサー。

ほとんどヤ○ザなチームリーダー。

プロのドラマー。

普通に学生生活を送っていると出会えない人達がそこにはたくさんいました。

酸いも甘いも知っている大人の世界がそこには広がっていました。

 

<オーケストラ>

大学に進学すると

「吹奏楽はもういいや。オーケストラをやろう。」

と思い立ち、東洋大学管弦楽団のサークル見学に。

 

吹奏楽は弦バスを弾いていても全然楽しくなかったんです。

一生懸命に弾いてもチューバの爆音にかき消されてしまうし。

唯一弾いているビジュアルがカッコいいくらいで、音的には全くと言っていいほど意味がない。

弦バスは響きを作ってる、と言われていましたが、全く分かりませんでした。

 

弦バスは楽器もデカいし、違う楽器をやろう。

トランペットがいいかな。

などと思っていました。

 

見学の時に居合わせた先輩に

「楽器は何かやってたの?」

と言われ、

「高校で弦バス弾いてました」

と答えたのが最後。

 

この先輩が実はコントラバスの先輩でした。(オーケストラでは弦バスのことをコントラバスと呼びます)

そしてこの先輩がめちゃくちゃ怖かった。

「楽器を弾いてみろ」、と言われコントラバスを弾くと、いつの間にかコントラバスをやることになってしまい、とてもトランペットがやりたいなんて言える雰囲気では無くなりました。

 

今思うと、別にクラシックを聴いてなかったし、好きなわけでもなかったし、なぜオーケストラだったのか、今でも謎です。

 

でもそんな感じでオーケストラサークルに入りました。

合奏では音程の悪い僕に向かって「チッ!」と舌打ちをする怖い先輩にビビりながら、練習する毎日。

 

当時の東京交響楽団の主席コントラバシスト笠原勝二先生に師事し、それなりに頑張っていました。

楽器はEastmanの4弦コントラバス、クーンラの弓を購入。

 

最後の方はそこそこ弾けるようになり、関東近辺のアマチュアオーケストラの猛者どもが出るNHK主催の青少年音楽祭(通称ジュネス)のオーディションを通り、テレビに出ることも出来ました。

オーディションでは当時NHK交響楽団の主席コントラバシストの池松宏さんの前でベートーベンの第九を弾きましたが、手汗がやばかった。

 

また他の大学のオーケストラに呼ばれるくらいになり、ちょっとしたお小遣い稼ぎも出来るようになりました。

 

<OBオーケストラ>

大学を卒業した後も、東洋大学管弦楽団をはじめ色々なオーケストラの賛助として演奏を続けていました。

が、やっぱり今までやっていた仲間とオーケストラがやりたい!と思い、東洋大のOBオーケストラを結成しました。

言い出しっぺの僕が団長です。

 

かれこれ10年くらい団長をしていました。

 

常任指揮者に東京都交響楽団の元首席ティンパニスト定成誠一郎先生を据えて。

持病の腱鞘炎が悪化し、一時期トロンボーンに転向していた時期もありました。

トロンボーンも手首に負担がかかることに気がつき、結局コントラバスに戻りましたがw

 

<オリジナルバンド>

理学療法士の学校に入り直し、病院に就職しました。

 

そこの病院関係で出会った仲間とバンドを組むことになりました。

他院のケアマネージャー、作業療法士、福祉用具の業者、僕の四人組バンドです。

 

ケアマネージャーのボーカルが曲を作れる人で、初めてオリジナルの曲のバンドを組みました。

 

その名も「小手指ハンサムズ」

4人全員ハンサムだったのでw

 

僕はベースを担当。

高校の時に買った、埃をかぶったFenderのジャズベースを引っ張り出します。

ライブハウスやカフェ、レストランなどで演奏していました。

 

福祉用具業者のドラマーが忙しくなった時は、僕の親父がドラムとして出演し、親子共演も果たしましたw

 

次男が生まれるタイミングでバンド脱退。

 

それ以降、楽器に触れることがなくなってしまいました。

 

これがざっくり僕の音楽の歴史です。

 

ここに書ききれない、ちょっとした余興(病院の催し物・結婚式・遊び)のバンドや、オーケストラの立ち上げ失敗など細々したものもたくさんありますが、キリがないのでこのくらいにしときます。

 

さらっと書こうと思いましたが、こんなに長くなってしまいましたねw

 

最後まで読んでくれた方、こんなくだらないお話に付き合っていただき、ありがとうございます。

そんな訳で、色々な楽器をやってきています。

 

普通の整体師さんよりは楽器演奏のことは分かるつもりなので、腱鞘炎等の楽器演奏でのお困りごとなどもお気軽にご相談ください。

 

おー。

意外とちゃんとしたところに着地したw

 

それではまたっ!

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